小学校の高学年の後半辺りから、あることがきっかけで、酷い虐めにあうようになりました。考えれば、いつの時も、女という生き物は陰湿な陰惨なことを好み、常に群れをなしつつ、悪知恵をこともなげに実行するものです。そうした、世の中にある至極一般的な慣習に漏れることなく、私もまたその格好の標的として、殆ど毎日のように、ネチネチかつグチグチと、連中からいたぶられ続けていたのでした。実は、私は密かにある計画を企てていました。そうして、ようやくそれを実現に至らしめる、そのことに成功したのです。
ある日のこと、生理を理由に体育の授業を欠席した私は、ひとりこっそり教室に戻り、リーダー格の魔法瓶の中に、ある粉末を入れました。効果は抜群でした。見るも無残なその醜悪な様態は、まさに滑稽で、もはや彼女はリーダーでも何でもなく、おびただしい糞尿にまみれ、強い悪臭を周囲に放つ、哀れで愚かな個体と化したのでした。それは私にとって、悦び以外の何物でもありませんでした。私は自信を持ちました。そして、このことをきっかけとして、私が私自身であることを、しっかりと自覚できるようになったのです。
その後、私は何度も粉末の調合を試みました。それにより、複合を重ねることで正が負に転換することを学びました。治験にはやはり人体を用いるのが一番です。最初の治験者は同じ中学の部活の対抗者でした。合宿中の食事の時間に、誰にも知られぬよう、その粉末を、彼女が使う予定の食器の縁にそっと塗り付けました。自らが口にする食器の表面を、点検することなどまずありません。所詮人間というのは安直な動物でしかないのです。治験は大成功を収めました。自信を深めた私は、日々実験に取り組むようになりました。
ふたり目の治験者は高校の時に現れました。嫌味ったらしい中年の女教師で、化粧っ気などない、あばたの浮いた赤ら顔をいつも晒していました。私は架空の男子生徒に扮して、何度も彼女に恋文を送り付けました。人間とは単純なものです。間もなく、その女教師は化粧を施し始め、表情には色艶まで見られるようになりました。私は手紙に手製のお菓子を同封し、その反応を伺うことにしました。惨劇はすぐに起こりました。彼女による音楽の授業は、ピアノの音色と漏れ出る汚物によって、すっかり穢されてしまったのでした。
卒業後、私は会社員となりました。しかし実験を怠ることはありませんでした。脇の甘い馬鹿や、人を人と思わないエリート馬鹿は、治験者としては絶好の対象です。もちろん、そこには多少のリスクがあります。それでも乗り越えられないリスクなど、この世には決して存在しません。人間は目がありながら、何も見てはいません。耳がありながら、何も聞いてはいません。脳を保持しながら、何ひとつ考えてはいません。安全と安心を無理矢理共存させ、妄想を張り巡らせ、幻想のなかでそれぞれが呼吸を繰り返しているのです。
人間など、所詮は妬みと嫉みに支えられ生きているのです。何と愚かなことでしょう。口では高らかに平等を叫びながら、実際はそれを徹底して憎んでいるのです。腹と言葉がどれだけ違うことでしょう。では、万人に共通な平等とは何でしょうか。それは唯一、辛苦で顔を歪めた時の、あの表情以外にはないのです。辛苦は万人に共通の表情を作らせます。そうです。笑顔も微笑みも、愛も慈しみも、その表情に勝るものは何ひとつ存在しません。この世に人間がいる限り、私の研究と実験には、決して終わりなどはないのです。