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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その28

 逃亡していた市橋容疑者が死体遺棄容疑で逮捕された。人間の生と死という最も自然でかつ神聖でなければならない部分への歪曲行為。
これを卑劣と言わずして他にどう表現できるのか、思案に暮れる。彼の場合、その卑劣さは更に度を越すものがある。逃亡し、整形までし、逮捕後も黙秘を貫こうとする。往生際の悪さといったレベルの話ではない。
 市橋容疑者については不思議なことがある。それは彼本人ではなく、彼の両親のことである。
逮捕後の彼の両親の記者会見について、かなりの違和感を持った人は随分多かったのではないだろうか。それとも、そう感じたのは私の物の見方が偏狭だからだろうか。
我が息子の逮捕をいかにも客観的に捉えて、それについて理路整然と語ろうとする態度は、「この両親にしてこの子どもあり」、あるいは諺にある「蛙の子は蛙」を思い起こさせるもの以外の何ものでもなかった。
それが私の本音である。
 巷では市橋容疑者に同情する意見があるという。もちろん彼に同情とは理解しがたいものがある。
しかし、ここでの同情が彼の両親の会見を視聴した後の話とくれば納得できなくもない。ただしそれは彼の犯罪行為に対する同情ではない。
その対象とは彼の育った環境についてのものである。環境が人を作り、人は環境によって作られる。市橋容疑者も例外ではなかったのだろう。
私はそう思う。


甲山羊二
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