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コラムⅡ
心に吹く隙間風
目次
心に吹く隙間風Ⅱその29
経済小説というジャンルがある。しかし、その意味を僕は具体的には知らない。出世も左遷も、両方に縁のない僕には、そこに蠢く、疼くような人心にのみ、興味をそそられる。
とはいうものの、経済小説と他のジャンルとの明確な線引きはどこに求めるべきなのか、ここしばらくは謎のままということになる。
かつてドラマ化された或る作品を読むきっかけは、そうしたあやふやなきっかけからも十分起り得る。因みに、僕はそのドラマのことを全く知らない。だから、不必要な先入観に全く囚われずに読み進められたことは、実際のところは、幸いなことだったといえる。
会話を通して当該人物の顔や表情を思い浮かべることができる。それだけではない。腹の奥の奥の奥底にまで、その部分をいやという程に類推までできてしまう。人事がクリーンなものでないことなど、誰もが知っていることだ。組織がそういったブラックな要素を幾つも含んでいることも、知らないことではない。そうしたある種の醜さを、醜いものとして、ありのままに小説にする。誇張もなければ、遠慮もない。興味深さは沸々と湧く。
しかし、それまでである。地獄に堕ちて二度と這い上がれないサラリーマン、一方で朽ちていく劣化した組織、僕はむしろそういう過程に相当の好奇心を覚える。「ドS」と評されても構わない。世の中は綺麗ごとばかりではない。いや、美辞麗句で語れることなど、ほんの一握りでしかない。これが現実である。
小説は無知な世界を拡げてくれる。知った被りは許してくれない。だから次の作品を読むことへと繋がっていく。書くことも然り。知らないことは書けない。知ることが創造力を掻き立てる。経済小説は書けなくても、泥にまみれた人間の心は書ける。聖なる人間などいない。自分の胸に手を当ててみればいい。それでもわからない人は、余程おめでたい。
甲山羊二
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