MyBlog Ver1.2



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページモバイルにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■オフィシャルページモバイル


新作掌編のこと
新作掌編「NINGEN-safari」を全作家機関誌に発表した
タイトルからしてなかなか奇抜だ

内容はさておこう…

こういう作品を出すと必ず面白い批評がやって来る
いや馬鹿馬鹿しいと言った方が的を得ているだろう

「へちま夫人」という作品を発表した際にもあった
ある書き手がこれは包装紙以下の愚劣作品だとした
もちろん反論などは一切しない…
包装紙以下とはなかなか良く出来た比喩だと思う…
包装紙は例えばデパートなどではある意味において場の顔でもある

謂わば芸術に近い
僕の作品もやっと包装紙と比較されるようになった
ただし褒め言葉にも限度がある…
ここまで褒めることはなかろう
もちろん当人にその意思はない
こき下ろすつもりが褒めてしまっ
ているとは何事か
そういう批評は当人の知力のなさを見事に物語る…

「ネコノミクス」という作品についても同じようなことがあった
これもある書き手がギブアップと批評してくれた
何がギブアップなのか分からない
卒倒でもされたのか
病院に運ばれたのか
危篤になられたのか
作品を通して相手の生命を奪う意図は毛頭ない…
心配になって知人の弁護士に打ち明けたところ次のように言われた
もし相手が天に召されても殺人罪にはあたらない
こちらをヒヤヒヤさせる批評もまた品性に欠ける

さて新作の批評はどうだろうか
書き手ならちょっとはまともな文脈で理路整然と批評してもらいたい

もちろん返事はしない
反論など絶対にしない
他人の作品を批評したりもしない
そんな義理はない
義理と人情を量りにもかけない
両方必要はない…
2019-01-07 00:06:47[448]


京都にて
つい先日藤田嗣治を京都で観た…
去年もそうだが今年も何かと藤田にとても縁がある
これまで出会った作品と随分重複はしていたものの、改めて藤田嗣治の世界に没頭できたことはやはり嬉しい限りだ…
日本とフランス…
フランス人として死した藤田もやはり魂は日本人に他ならなかった

どれだけ日本人から酷く醜い仕打ちを受けようとも
日本を放逐仕切れなかった藤田…
三つ子の魂百までとはこれを言う

続いて草間彌生ともやっと対面を果たすことができた
場所は花見小路の祇園歌舞練場…
畳上で芸術鑑賞とは何とも粋だ…
兎にも角にも芸術表現は自由だ…
誰からどれだけ批判されようとも
、妥協と譲歩の賜物が芸術であってはやはりならない
去年偶然に地下鉄車内で会話したシンガポール人が、アジアで最も著名な芸術家は何といっても草間
彌生と話してくれた
その意味でも日本は芸術志向に未だ旧態依然の硬さがある気がする


同じ日に建仁寺にも立ち寄った…
俵屋宗達の風神雷神
そして法堂の双龍図
やはり本物は良い…
そして本物は真実を語ってくれる
偽物は当然いけない
人間についても然り
偽物はそれが顔にきちんと現れる

藤田嗣治 草間彌生 俵屋宗達
そして天井の双龍図
言葉を超越した世界
けれども言葉でないと伝えられないもどかしさがある
絵画と文学の世界…
同居と拮抗は続く
2018-12-17 06:59:36[447]


2018年
今年も間もなく終わる
光陰矢の如し…
最近は時間の経過が実に早い

僕は後ろを顧みない性分だが今年に限ってはその禁を破ることにする

今年は作品の発表を敢えて控えた

もちろん創作を止めたわけではない
普段にも増して書きまくったと言った方が正しい…
それでもやはり発表は控えた
それには相応の訳がある

今年はまた大量の本を読み漁った

一週間にほぼ二冊のペースで場所を構わず読んだ…
家の者も呆れ返る程の分量だ
それには相応の訳がある

創作を始めて11年
今年は記念すべき10周年
いやそんなことはどうでもいい…
書きたいものを書く時期は過ぎた

今度は書くべきものをきちんと書かなければ神様に申し訳がない
知的好奇心も同様
むしろ未知の世界に入る
知らないことの放置は無責任だ…
大人は無責任であってはいけない

読むという行為に係るエネルギーを使わないのも神様への背きだ

人間は笑わなければならない
人間は怒らなければならない
しかし些末な日常で簡単に笑ったり怒ったりするのは実に勿体無い


笑うべく笑う
怒るべく怒る
創作も同じだ
書くべく書く
読書も同じ…
読むべく読む

生きることは真人間のすること
ダラダラ生きては勿体無い
生きるべく生きる
考察と思索を欠かさない
知恵と知識はやはり賜物だ

来年は次々と作品を発表する
止めろと言われてもやる
読書も続ける
床が抜けてもやはり読む
生きることは覚悟も必要だ…
2018-12-03 06:59:29[446]


窃盗世代とその子供たち
学生の頃のことだ
スーパーのレジ打ちのバイトを半年ばかりやったことがある
レジには実に不特定のお客が多数やって来る訳だが…
中でも印象的だったのが子供連れの若い母親の言動

「この子が勝手にやったんです」

精算前であるにも関わらずお菓子のパッケージは既に子供によって
無残にも開封されてしまっている

そうした不始末をどの母親も決ま
って同じ台詞により誤魔化すのには随分驚かされた

親の目が働いていないはずはない
子供を叱れない親
叱られない子供…
窃盗は癖としてこの頃から既に身についていく訳だ

あの時の子供も今やそれなりに大人になっている…
年齢でいけば30代後半から40代前半にかけての範囲
僕が通勤途上でよく見かけるサラリーマン世代ということになる

そこで符合する…
彼らの子供たちが丁度10代半ば…
窃盗世代に育てられた若者がいる
スマホにイヤホン
スマホから目が離せない若者達…
窃盗世代もまた所業は変わらない
ホームからの転落や電車との接触などの事故は実はその大半は窃盗世代やその一味たちによるものだ

転落事故や接触事故は日常茶飯事
で時々僕もその目撃者になる訳だ

もちろん救いの手は差し伸べない
救うべき命か否か
ここは慎重かつ十分な議論による

更には…
ところ構わず食べ物を貪り食い散らすのもまた連中だ
実に下品極まりない

まだある
事故を起こしても直ぐに逃亡する
捕まれば今度は詭弁をのたまう
実に下等極まりない

「この子が勝手にやったんです」

やはりだ
これ程の名台詞を僕は知らない…

台詞を吐いた母親達はもはや老人

台詞を生み出したのと同等の知性で老後を過ごしているのだろう
気の毒と言えば確かに気の毒だ…

日本人は劣化した
それはさらに進んでいくのだろう
そうした歴史的変遷を見れるのもまた生きる上での糧となり得る

群れをなす窃盗世代とその子供達

実は彼らはお菓子を勝手に盗んだだけではなかった
彼らは日本から知性までも窃盗し
、延々とそれを放逐しているのだ
2018-11-19 07:07:17[445]


平田篤胤
本居宣長を松阪に訪ねたのは昨年の冬のことだった
そこから小林秀雄の名著『本居宣長』を再び読み返したのが今年…
自らの能力の無さに嘆きながら、そこからようやく平田篤胤に辿り着くことができた

本居宣長についてはまだまだ勉強不足も甚だしい…
にも関わらす平田篤胤とはこれまた何とも厚かましい限りなのだが
、僕の知的好奇心がどうしても譲らないのだからやはり仕方ない

平田国学は難解だ
霊魂はやはり気にはなるがその真髄に全く至らない

だがしかし僕にとって人となりに
ついては本居宣長より平田篤胤の方に魅力を感じる
実はそれは彼の生い立ちにある…
不遇の少年青年時代は平田国学の柱にかなり影響しているはずだ
学問も自説もまた文学も内面に反するものは決して露呈されない
それは断言できる

平田篤胤を読む
平田篤胤を知る
知的好奇心は貪欲が良い
ここに導き手がいればなお良い
これも断言できる
2018-11-05 07:08:00[444]


秋休み
今年は初の秋休みを計画していたが見事に頓挫した…
計画していた期間の前に体調を崩してしまったからだ
これにより秋休みと目論んでいた日程は普段通りのスケジュールへ
としっかり収まった

夏休みはいらない…
特に最近は猛暑で酷暑で激暑故に体調管理が半端ない
昨年は夏の無理が祟って秋にはヘルペスで苦しんだ
「あんた、バタバタせずにちょっとゆっくりなさい」
ドクターストップ!
今年は今年で馬車馬に近い仕事量
そうして秋にダウン
どう考えてみても秋休みは必要だ


他人があくせくと働く中で休むというのは罪悪が伴うというのが世間一般の感情らしい
僕の場合は心配無用
世間一般の感情は僕には全くない
だから罪悪より快楽が伴う訳だ…

だが、しかしだ…
神はなかなか僕の考える快楽を許してはくれない
せいぜいスポットで平日の休息を与えてくれるのみ
計画通りにはなかなかいかない

春休みは必要
夏休みは不要
秋休みは必要
冬休みは不要…
夏はエアコンのもとでせっせと仕事をこなす
冬も暖房のよく効いた場所でやはりせっせと仕事をこなす
嗚呼憧れの秋休み
来年こそはとただ祈るばかりだ
2018-10-22 00:00:47[443]


ヒステリックな貴方へ
世の中には他人の上げ脚をとることに夢中になる人がいてそれがまた何かと話題になる
特定の誰かを意図的に攻撃する場合はされる側も反撃の権利はある…
しかし自らの思想信条に基づいての論理の展開はその限りではない…
そうした論理に反論するなら論破するだけの理論武装が要るはずだ…

ところが最近は違う
ヒステリックな反撃、ヒステリックな反論、仲間を引き連れての反撃、声を荒げるだけの反撃、これらが言葉の含蓄を喪失させていく…

元来より日本人には議論も対話も皆無だと言っていい
欧米の受け売りのみで自らの知性を伸長させてきた日本人に自らの論理を持てというのは酷なことだ…
ヒステリックでなくても結局は感情が全てを優先する
これではまともな議論にも対話にもなるはずがない…

何でもかんでもごちゃまぜにして
政治に結びつけるのもまた昨今の気味の悪い傾向だ…
お前は右だとか右がかっていると
かは余計なお世話だ
僕は僕の理論により生きている…
そこから発するあらゆる言葉には全責任を負っている
勝手に中指を立てながら喚き散らすようにヒステリックな発信をしているのではない…

あまりにそうヒステリックになると頭に血が昇り過ぎていずれ大変なことになりますよ
いちいち人の言葉に上げ脚をとっていると貴方自身の言葉もいずれ失われていきますよ
何なら良いクリニックでも紹介してあげましょうかね
もちろん他人ごとよ!

いやいや
そんなことにかかずらう暇はない
それより
健康で文化的な生活を希求すべし
健康で文化的の意味…
ヒステリックな貴方にはきっと理解できないでしょう
脳は嘘をつかないさ
2018-10-08 11:44:47[442]