MyBlog Ver1.25



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページモバイルにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■オフィシャルページモバイル


続々短歌について
冷泉家は由緒正しき定家の筋を今に伝える


『冷泉家の花貝合わせ』

ここにあるのは見事な図柄と文脈である

和歌と花貝合わせは分かつものではない
四季にある情趣を詠む
それを視覚で味わう…
単なる知識や浅薄な知恵では詠むことも味わうことも決してない
遊びは戯れとは異なる

中世の勅撰集は春と秋に巻の数を重ねる
春をじっと忍んで待つ
夏の盛と秋の夕を思う
一体全体待つこととは内なる心を働かせることではないだろうか
怠惰とは一線を画す…

短歌と和歌は同一の三十一文字観ではない


にも関わらずである…

短歌は和歌の世界を存分に誘ってくれる

待ち方も思い方も心の働かせ方についてもその間口を閉ざすようなことは決してない

時を隔てつつも短歌は和歌にある優美さと平淡さにどこかで通じているのだと思う
2022-08-08 00:44:42[529]


続短歌について
前回の続編を書く…

短歌をやり始めて良かったなと思うこと…

先ずはものの見方が変わったことである

自身の情緒性に頼む
自らの感性を顧みる
高慢と偏見はすべからく排除されていく

次に四季に係る汎ゆる事物への捉え方が変わったことである…

ここには一瞬がある
逃せばもう逢わない
短歌にはれっきとした普遍性は全くない

「未来」にて選者としてお世話になっている道浦母都子さんの歌を拝見すると嫌がおうにもそう感じる…

僕はどこへ行くのか
どこだって良いのだ
とつくづくそう思う
2022-07-18 07:45:58[528]


短歌について
春から短歌を始めた
和歌でなくここはあくまでも短歌である

では和歌と短歌の違いはどこにあるのか
それについては藤原定家或いは俵万智氏のいずれかにお聞きなるがよろしいでしょう

今般短歌を始めたきっかけは西行にある
ではなぜまた西行か

これについてはいずれどこかに書くことになるものと予測する

「覇王樹」と「未来」
両会に入れて頂いた

短歌の世界は深い…
三十一文字の世界には言霊が潜んでいる

では言霊とはいかなるものであるのか…
このことについては遠慮なく本居宣長または賀茂真淵か平田篤胤にお尋ねくだされ

兎にも角にも短歌は極めて人間に優しい
いや全てに優雅なのだ

では優雅とは一体全体どのようなものか
宮廷歌人達に尋ねるか

追記として
当該記事は暫く続く…

次回に続く
2022-07-04 01:01:01[527]


似非カウンセラー
カウンセリング…
その言葉に万能さを覚える御方々には一度脳神経外科へ直行することをお奨めする
画像にはこの世のものとは思えないくらいの華美なお花畑が映っているに違いない

兎にも角にもだ…
カウンセリングとは単に傾聴でしかない
そこには万能さなど欠片も存在しない…

だがだがしかし…
実はその傾聴とやらが肝心要の作為であって自らの体験と高度な技術を要求される

傾聴とはただひたすら聞くことではない…
自らの内側に緻密な創造をすることである

また傾聴を通して共感することでもない…
時空において認識を共有をすることである


普遍的な学問と技術を自らの体験を通してのクライエントに合ったオリジナルな傾聴

カウンセリングは学問も体験も持ち合わせない甘野郎が関われるような領域ではない

例えばの話だ…
学校などで若い女教師がカウンセラーと称して正々堂々と偽カウンセリングを行う
挨拶ひとつできない似非教師かつ似非カウンセラーの偽善などまるで悲劇であろう

加えて言おう…
自ら命を絶つことを決めた人間に対してカウンセリングは何ら効果も効力もない…

更に加えよう…
自殺の決心を遂行して死に至った経験者がカウンセラーになることなとはできない

非体験者が体験者の顔をするのは結局似非でしかないのである
2022-06-20 09:14:09[526]


いじめ短考察
あだ名を止めよう…
学校という場はなかなか愉快で奇妙で奇怪なことを思いつくと感心することしきりだ

いずれ近い将来にはお互いを番号で呼び合おうなどということになるかもしれない
人間がいるところには大人であれ子供であれ必ずやいじめというものは存在する…

いじめはなくならない
いずれにせよ日本人はいじめが大好きでたまらんという性質を元来から持っている…
学校もいじめ撲滅などと建前と虚言の前に先生同士のいじめをなくすべきであろう
学閥や派閥に係るいじめはもちろんのこと正規から非正規へのいじめも現にある…

あだ名で呼び合おう
悪質なあだ名は遠慮なく撲滅すればよい
卑劣ないじめは犯罪として処理すればよい

「相手が誰であれ正々堂々とものを言わなければならないのです」
そんな妄言を吐く先生ほど犯人の親の前では正々堂々と萎縮する
先生は建前が大好物だ
先生にお任せする前に正々堂々とそこから逃げてしまいましょう
自分の精神は自分で守らなければならない

いじめは確かに悪い…
だがしかし面倒くさがって十把一括することの方が実に嫌らしい
2022-06-06 12:22:48[525]


中村元博士
中村元博士といえば
名著『東洋人の思惟方法』を速挙げる…

言語と思索の関係…
当然で必然の関係を徹底して掘り下げる
名著が今もなお名著たる理由はそこに商業主義的なきな臭さを感じないからだろう
あらゆる論文を適当に寄せ集めて口当たりの良い部分をとりあえずまぶしておく…
そこには著者の見解は微塵も記されない
この手合いを論集として熱心に売り込むというのは社会にとって最大の悲劇である
悲劇を悲劇と感じずにその受け売りを自説のごとくどこかの誰か様が喋りまくる…
悲劇が喜劇となって藻屑の如く消えていく

博士の見解は明快だ
そこでの結論は実はたったひとつである

人間は結局は変わりようがないということ

そうした人間が構築する社会もまた外面は変わっても内面は何ら変わることはない

名著には普遍的な事柄を多く含んでいる

学生時代に一度だけ博士の講演を拝聴した

ボンクラだった当時の僕にとってはかなりの難解な内容だった

名著のみならず博士の名訳も紹介する…

『ミリンダ王の問い』

中村元博士の思惟方法は圧巻でしかない
2022-05-16 00:29:07[524]


ドフトエフスキーを読む
ドフトエフスキーの作品を久々に読んだ

『カラマーゾフの兄弟』揃世界文学全集

随分以前に古本屋で購入した函本である…

あなたカラマーゾフも読んだことなかったの
答えはイエスである
因みにだが『罪と罰』は既に読んでいる
そんなことは何の自慢にもならないですわよ
応えは然りである…

ロシア文学は嫌ではない
但し相当に根気が必要である…
思想と信条と哲学と宗教
その混在は日本文学には殆ど見られない

カラマーゾフもまた例に漏れず難解である

大体がカラマーゾフ家が難解過ぎる家柄だ

だがしかしである…
この作品には血が実に明確に読み取れる
この場合の血とは単に血液を指さない
ここでの血とは継承される必然性をいう
もっといえば育つ環境の恐ろしさである
育ちは人間に真っ向勝負を挑んでくる
そしてどんな場合も常に勝利の側に立つ
血は実に恐ろしい

カラマーゾフに限らず周囲を見渡せば血の論理は極めて明確だ
賢人は愚人から成るものではない
賢人は賢人によって成る…
愚人もまた愚人から成る
更には賢人の元には賢人が集い、愚人の元には愚人共が群れる
類が類を呼ぶのはシステムである

つい最近のことだが
平然と大人に嘘をつく子供を見たが、これもまた血の結晶だろう
最近増殖凄まじい…
マナーの悪い爺婆や中年や若者もまた血のなれの果てだといえる

『カラマーゾフの兄弟』という作品はある種の教示書ともいえる
だとすれば血の結晶やなれの果てもそれなりの価値は認められる
もちろん価値を価値として正当に評価できる賢人ならばの話だが
2022-05-02 07:59:17[523]