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コラムⅡ
心に吹く隙間風
目次
心に吹く隙間風Ⅱその20
スマホゲームに勤しむサラリーマンをよく見かける。身なりは整然としている。ただ、目の前での必死の形相とその操作がいかにも馬鹿げていて、お得意の心中侮蔑には絶好の材料とくる訳だから、僕にとってはこれほどの暇つぶしは他にない。身なりの崩れたサラリーマンなどはもっと酷い。中年のおじさんの顔はすっかりガキに戻り、その不敵な笑みと涎を含んだ唇は、脳波の異常をも彷彿させる。
僕はゲームはやらない。スマホなどは単なる連絡ツールに過ぎない。或いは日々の行動に係る情報の収集に用いる程度だ。だから必死の形相も操作も、馬鹿ガキに戻ることも、不敵な笑みも涎も、僕には全くもって縁がない。
スマホ片手に転ぶ人もよく見かける光景だ。これはアクシデントではなく、ただの危機管理能力の欠如がなせる技以外に何ものでもない。こういう御方と関わるのは時間の無駄だ。転んだら自力で立ち上がる。まともな躾を受けてきた人間は、無駄に転ぶこともしないし、自己責任で立ち上がることを知っている。
とにもかくにも、スマホゲームですってんころりんもその人の勝手だが、列車との接触やホームからの転落は実に迷惑千万、遅延によってこちらの精神衛生にも影響する。ホーム柵の設置など、随分優しい世の中になったと思うが、それに甘えてズボラをかます人間も当然いる。かつてはホーム柵など駅にはなかった。それでもほとんど事故は起こらなかった。便利になればなるほど人はそこに寄り掛かる。本当の便利さは物ではなく人間が持つ配慮から生まれるのではないか。優先座席で堂々とスマホをいじる。配慮を促す窓の表示も見ない。文盲もまた世の中には大勢いる。
配慮の意味などスマホゲームに勤しむ御方々には分からない。分からない連中に分からせるエネルギーはもったいない。僕は無駄はしない。傍観と嘲笑という方法によって、上手にかつ合理的に充電を試みる。それがいい。
甲山羊二
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