MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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甲山羊二の研究

あまり知られてはいないことだけれども
実は僕には極度のげん担ぎ症候癖がある…

起床から出勤までの一連の動作
通過する自動改札機
列車の座席
飲み物
食べ物
小用の便器
その他諸々
これらが毎日一定していないと何やら気持ちが落ち着かない
そして不吉な予感すらするのだ

例えば実際に嫌なことが起こったりすると、その日の朝に駅のトイレで使ったイレギュラーな便器のせいにしたりする…
漏れ寸前でたとえのた打ち回ったとしても、やはりいつもの使い慣れた便器にすれば良かったのだ…
だいたいあの先客の野郎が僕の愛すべき便器を長時間占有したりするからこんな嫌な目に遭うのだ!
あまりに切れの悪いあの野郎から僕の便器を何としてでも奪い返さねばならぬ…
きっと便器も残念がっているに違いない
ああ ̄愛しの便器よ!
僕が不覚だったのだ…
今後は二度と君を裏切るまい

これらのことをある知人に話してみたら…
「それはげん担ぎではなくただのわがままではないのかね」
そう呆れられてしまった
そして翌日何とも嫌なことが起こった…
以来自分の癖を話すこともきっぱり止めた
もちろんこれも立派なげん担ぎだと思う

それでこんなことを書くと明日の僕の身の上を心配される方がいるかも知れない
でも大丈夫なのだ
なぜなら今回は話したのではなく、ただ書いただけだから…
結局僕は極めて自己チューでしかも都合の良い人間なのだ
2015-03-09 08:46:02[331]


三島由紀夫

最近、三島由紀夫による檄文を久しぶりに読む機会があった…
加えて故若松監督による映画『11・25三島由紀夫自決の日』
さらには自決までを取り上げた戦後特集のドキュメンタリーをそれぞれ視聴した…

三島の自決を僕は記憶としては知らない…
けれども僕自身の思想形成の中で、いや現在を生きる人間のひとりとして、その自決は欠くことのない厳然たる事実であることは間違いない…

檄文の中にあるあの文言は今も生きている
僕ははっきりとそう思う
それは三島に対するただの信奉からでは決してない…

政治も経済もそこに関わる多くの人間が日本という国家を忘却した…
さらに最悪なことに多くの国民も盲目的にそれらに追随してしまった

それは僕自身も決して例外ではない
自分を日本人であることを強く意識する局面はもはや国外にいる時…
これもまた紛れもない事実なのだ…

三島の自決は日本の歴史の上での汚点でも病気でもない…
むしろ汚点なのはそれを事件として封じ込めようとするやり方であり、むしろ病気なのは全てに学びを怠り果ては忘却することではないか…

特に最近の日本人はどうもおかしい
どうやら何も考えてはいないらしい
2015-02-23 18:14:42[330]


無知という罪

この世の罪とは何かと聞かれて…
すると僕は即座に無知と答える

ところで実のところ僕のいう無知の定義は世間のそれとは随分違う…

勉強不熱心でその自覚すらなく、周囲の情緒性にすぐ踊らされ、物事の本質を見極めようともせず、しかも喉元過ぎると熱さ緩さを忘れ、さらに現実逃避を繰り返すこと
これが僕の定義する無知である

そこでひとつ例を出して説明しよう
そう、話題となったイスラムのこと

いったいどれだけの日本人がイスラムの歴史についてその知識を持ち合わせているのだろうか
日本の歴史についてさえほとんどまともな議論もできないではないか
世界地図を前にイスラム圏の国々の位置関係を明確に指摘できる日本人がどれだけいるのか…
日本の県庁在地でさえまともに答えられる人がどれほど少ないことか
アラブとペルシャの違いも分からない…
本当のところ世界史が皆目分からない…

これらがイスラムについてのいや世界についての日本人の脆弱な知識と見識に他ならない
それどころか日本人の日本についての知識も見識も実際は極めて怪しい

だから自己責任と社会的国家的迷惑の相違でさえ全く議論できない…
結局は後者の罪を犯した本人とその家族にさえ賛美を惜しまぬお目出度い人たちまで出現することになる
Facebookをやってると時々そういう愉快な人たちに遭遇してしまう…
だから止めようにも止められない…
実地の勉強を僕は決して惜しまない

無知は罪だ
その認識不足もまた罪だ
これ以上罪を重ねるとそのうちこの国が揺らぐのではないか
僕は本気でそう思っている
2015-02-09 12:59:31[329]


肩こり解消法

時々恐ろしいくらいの肩こりに襲われるときがある…
あまりに酷いのでお祓いをお願いしようと思う程だ
だがしかしお祓いは意外に高額だし、それにそういう類を僕は信じない
そこで整体に身を委ねることになる

だいたいが僕は面倒くさがりなので、整体の自動ドアの前に立つまで、それ相応の時間がここも必要になる

ではそれまでの間は、肩こりとどう闘うか

まず妻に揉んでもらう
夜更かしや晩酌や暴飲暴食が原因なのですよ
そういう小言をねちねち言われて、気の弱い僕はまた肩がこる…

次に子どもたちなのだが、ここに落とし穴が潜む
というのもおよそ10分で約1000円という法外な金額を必ず請求されてしまう
ちなみに20分だと5000円となるそうだ
どうも計算が合わない
さらに1時間でいくらだと聞くと、ニヤリと笑って1万円と言われた
これではただのぼったくりマッサージじゃないかい
こうなれば可愛いお姉ちゃんのいるお店の方がまだ良心的だと思う…

そこでようやく僕は立ち上がる
そして整体に向かうことになる

バキバキ
ゴリゴリ
叫ぶとさらに力が加わる

施術が終わって呆然と外に出て、ガソリンスタンドへと向かう
ガソリンスタンドだよ
何それって
僕にとってガソリンとはよく冷えたビールのことよ
スタンドとはちょっとした立ち飲み
開放感溢れるビールは自分への最高のご褒美なのだ
2015-01-23 10:19:14[328]


封印された日本の秘境
僕はほとんど毎日近くのコンビニへと向かう
なぜか…
答えはいたって簡単
レジの女の子に惚れているからだ

毎日会いたい
その思いはもはや尽きそうもない

馬鹿げた冗談はこの辺にしよう…

近くのコンビニにはお酒が置いてある
もちろんつまみもある
ちょっとエッチな本もある
それにもうひとつ
ちょいと珍しい本もある
最近見つけて思わず買った本がコレ

☆「封印された日本の秘境」鹿取茂雄著☆

著者が直々にその場所に出向いて取材を行った故の超リアルさ…

例えば…
近鉄大阪線の旧東青山町駅で朝刊を広げて列車を待ち続ける著者
もちろん廃線となった鉄路に列車は来るはずはない
そうした生写真は僕の興味をより掻き立ててくれる

時々僕も秘境の宿で命の洗濯をすることがある
ただしひとりではない…
常に家族同伴だ
それに秘境といっても人間の温もりは十分に感じられる
けれども山深い中の旧東青山町駅などにはそれはない…
かつての大事故に由来するとなれば当然甲山の血は騒ぐ

このゾクゾクする本の中には他にもたくさんの秘境が登場する
一読の価値大いにあり
ただし課題図書には不向きだろう
たぶん…
とにかくオススメなのだ
2015-01-13 08:29:13[327]


読書の冬
読書は秋が適している
そんなこと一体どこの誰が決めたんだい
僕のような決して素直でない人間はこう逆に問いかけたくなる
周囲はそれをイチャモンという
ありがとう(^_^)/
本当にありがとう(^ー^)
イチャモンもある種の才能だ…
僕のそんな才能に気づいてくれて本当にありがとさん(^_-)

話を普通に…極めて普通に戻そう

僕にとって読書とは仕事と関わりのないものを好きなだけ読むという極めて優雅な作業なのだ
仕事で読まざるを得ないというのは時に苦痛を伴なう
苦痛ならまだいい
激痛は身体に悪い
しかし自由に読めるとなればまさにそれは快楽以外の何ものでもない
快楽は文化だ
それも高尚な文化だ

さて僕の場合…
読書はこたつに足を突っ込んで寝っ転がってやる
時にうたた寝もよい
こういう時こそいい夢を見ることが多い
自由とは優雅とはこういうものだ
海外ではこたつはない
だからベッドで寝っ転がる
臨機応変
そう、まさしく臨機応変
これが本当の読書なのだよ

読書の秋
いえいえ、読書は冬
冬なのですよ
2015-01-02 20:08:17[326]


小説を書くということ
小説を書くという作業は僕の仕事だ…
そうあえて言うのには相応の意味がある

僕にとって小説とは人間を観察した結果として必然に生じる行為と考えている
人間を観察できない或いはそれを怠れば、たとえ優れた文章力があったとしても、小説など決して書くことはできないだろう
では人間を観察するとはどういうことか
何も難しいことではない
その人間の言葉と行動の真逆を想像さえできれば十分こと足りる
安易に相手の言葉を信用しない…
相手の行動の意図を深く読み取る
もちろん相手の人間からもそう見られている
そのことを承知していれば何も問題などない

僕は批評に媚びるような書き方はしない
批判的な批評の大半は嫉妬と妬みによる
僕からすればそうした批評をすることは自分の作品の秘めた構想を暴露することと変わりない
「あなたはこう書いたけれど、私ならここをこう書きます」
こういう類の批評に出合う度、なぜかおめでたい気分になる

僕はおめでたい人間ではなく、そうした生き方は予定にもない
だから批評はしない

小説は強かに書く
僕はそういう心がけに徹している
そしてもうひとつ
小説は孤に徹して書く…
これも僕の大切な心がけとなっている
2014-12-20 10:45:20[325]


冬眠の勧め
我が家の二匹の亀が冬眠モードに入った…
まことに羨ましい限りだ…
こうした亀のいかにも優雅な冬眠姿を20年近く見てきて、今年は特にしかも何時になく僕は嫉妬している

残念ながら人間という生き物は冬眠しない
したい気持ちはあっても経済的には不可能に近いものがある

何といっても冬眠の期間は収入がない…
印税はあっても次の作品に追われないとそれらも次第に減少しいつ途絶えるかもしれない
だから実際は春眠すら危険だといえる…

ただ僕のような自称妄想家はいろんなことを勝手に考えてしまう

もしすべての条件が揃うなら冬眠はいい…
いや冬眠の振りをしてどこかに出掛ける
そうして可愛いお姉ちゃんとうんと遊ぶ…
もちろん朝になると穴蔵に戻って来る…
家人たちは冬眠していると信じているから夜明け前に戻らなければいけない…

まさに冬眠偽装
ただし誰にも迷惑などかけていない

そんなことを考えていたら…
結局原稿の締め切りを思い出してしまったではないか
やっぱり偽装はしばらくできそうにはない
2014-12-15 15:14:38[324]


吠える猫
以前エッセイに僕は猫派でなく犬派だと書いたことがある
猫は近づくと飛ぶように逃げていくけれども、大抵の犬はニヤニヤしながら近づいてくる
だから僕は自分自身をてっきり犬派だと思っていた

ところが最近どう言うわけか犬はもちろん猫にも随分親しみを持つようになった
一定の距離を保ちつつ猫と仲良くなる
この極意を僕が会得したからだろう…

そもそも猫は相当に自立した生き物なのだと思う
狩りをする犬は限られているけれども、猫はそうした習性を間違いなく持っている
なるほど
餓死寸前の猫にお目にかかることなどまずない
それに比べて犬はお食事の時間になるとたまらなく人間を呼びつける
見方変われば状況もやはり一変する

最近では我が家にも大勢の猫が生息するようになった
だがしかし…

我が家の猫は自立に欠けている

狩りはしない
しないどころか食事の時間になると上手に極めて上手に甘える
そうして僕も甘やかす
するとまた猫も甘える

結局我が家の猫はほとんど犬に近い
そのうちワンなどと吠え出すのではないだろうか
正直僕はそれを恐れている
2014-12-08 16:08:10[323]


蕎麦とうどん
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僕は無類の麺好きだ
毎日食べても決して飽きないのが麺とカレー
そう言えばまだ若き頃…
「私と麺と一体どっちが大切か教えてちょうだい」
彼女にそんなことを言わせるくらいに僕は毎日毎食麺を漁っていた
もちろんさっきの質問にはこう答えておいた
「君と麺なら麺が大切に決まっているじゃないか」
彼女は静かに僕の元を去った

さて麺は麺でもラーメンは次回のお楽しみにしていただくとして…
今回は蕎麦とうどんの話だ

僕の場合それぞれに食べ方の流儀がある…
蕎麦の一番の食べ方はなんといってもザルだね
箸で持ち上げたときのあの重量感がたまらない
蕎麦つゆをお湯で割るあの楽しみもいとおかし
うどんの食べ方にももちろんこだわりがある…
ダントツは「たらいうどん」だよ
少々温めの湯に浸したうどんを卵を絡めたお出汁でいただく
もう心から☆たまりまセブン☆だ

実は今度蕎麦打ちを勉強しようと計画を練っている
蕎麦処羊二庵
蕎麦がゆであがる間、僕の小説で一杯いかが
こんなことを考えてばかりいて長編がちっとも前に進まん
これもまたいとおかしだろう
2014-11-25 12:52:19[322]