MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


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数字という天敵
僕は典型的な文系人間だ
好きな教科はと尋ねられれば国語と英語と社会…
嫌いな教科はと尋ねられれば数学と理科と答える
そこに迷いなどはひとつもない

数学の証明問題などはもう最悪
だいたいが合同や相似など最初から分かりきったことではないか
それを証明せよなどとは上から目線も甚だしい
先ずはそういう高慢で傲慢な性格をどうにかした方がいい
などと答案に書いたら案の定先生からぶん殴られたことがある…
今は昔…
ただし先生の感情を引き出すことには成功したから、この頃から小説を書きたいという思いが始まった…
多分そう思う

いずれにせよ…
数学はやはり嫌いだ
ここだけの話だけれど数学の先生もあまり好きではない

これが物理となると度を通り越す
物理など人間のやることではない
あれはまさしく神の領域だと思う

とにかく…
数学は生々しい記憶で溢れている
僕にとって数学はいつまでも魔物で天敵なのだ
2014-11-11 17:03:42[321]


明治を知らない僕らたち
「戦争を知らない子供たち」
これは本のタイトルではない
かつてジローズ率いる杉田二郎がギターを抱え歌い、一世を風靡したあのフォークソングの名曲だ
僕の学生時代にはすでに反戦ムードは学内からすっかり消え、男と女の甘くて切ない恋愛ムードだけが漂っていた
今や本当に懐かしい記憶…
そしてその記憶も徐々に僕の中から薄れて行くのだろう
恋愛も切ないが老いもまた切ない

話をポジティブなものに変えよう

先般「昭和天皇実録」の完成が大きな話題となった
完成までの期間の短さは少々気にはなる
ただこれにより昭和史の全貌がより明らかになっていく可能性は大いにある
そう僕は期待している

昭和史は何かと話題になりやすい
大東亜戦争の敗戦と東京裁判
硬性憲法たる日本国憲法発布
目覚ましい経済復興とその闇
天皇崩御の際の戦争責任議論…
いずれもそこには史実に基づく人間ドラマが存在する

かつて高校の歴史の先生になぜ日本は戦争に負けたのかと尋ねたことがあった
先生はこう答えた
「キミ、それは簡単なことで、侵略行為などしたから、天罰が下っただけなのさ」
もう30年以上前のとても古い話だが、こういうトンチンカン教師も確かにいた
いや今もどこかにこういう類は潜伏しているのかもしれない
トンチンカンはまるでゾンビのように生息すると考えていた方がいい

最近僕は明治にとても興味を持っている
明治は幕末から維新をどう言う訳かは激しいロマンを持って相当ドラステイックに語られる傾向が強い
もちろんそれも認める
ただ僕は個人的に昭和天皇について大いに語られる一方で明治天皇に関して多く語られた形跡をほとんど知らない…
ドナルド・キーン氏の「明治天皇」は名著だと思うが、残念ながらその視点は日本人のそれではない気がする
僕たちは情緒を廃してロマンを廃して明治を知る機会に乏しい
そう思う僕はやはり何か勉強不足なのだろうか

最近松本健一氏の「明治天皇という人」を読んでなるほどと思う節が数多くあった
示された参考文献や資料は確かに興味をそそられる

明治を知らない僕らたち
明治を知ることは昭和をさらに深く知ることにならないか
そんなことを考えて文献や資料をかき集めかけている僕も、やっぱりあまりにも勉強不足なトンチンカンなのだろうか
トンチンカン…あらよっと…
秋はこんな僕を少しは利口へと導いてくれそうだ
2014-10-27 15:14:15[320]


危機管理に思うこと
危機管理というとかなり大げさだが…
例えば梅雨時に鞄に折り畳み傘一本忍ばせないこと
或いはスマホの画面を食い入るように眺め歩くこと
さらにトイレで用を済ませて手洗いなしで出ること…
これらは僕から言わせれば完全無欠の危機管理欠如であって、逆にこちらにそれらによる被害が生じないよう新種の危機管理を覚えさせる
いわば僕に新たなる進化を与えてくれる優れものでもある…

僕は決して冗談を言おうとしているのではない

例えば自分の子供を魔の手から守るために親は真に必死で知恵を絞る
変質者が徘徊していると噂になればラインやメールで情報を共有する
まともな親ならつまらない建前だけの校則など無視し携帯を持たせる
さらにはGPS機能搭載の機種で子供の居場所をしっかり把握するなど…
できることはいくらでもあるはず

学校や行政は基本的にやることが限られている
いや厳しい言い方をすればやることを予め限る
そんなことは幾らでも過去の事例で分かるはず

子供に関わる事件報道陣を見聞きする度に僕はいつも同じ混乱を覚える
ラインやメールは何のためにある
携帯やスマホは何のために使う…
ただの繋がりなのかい
ゲームのためなのかい
それとも新たな出逢いのためかい

もっと居直ろう
大流行したあの絆さえ本当はこの国のどこにもない…
絆という空気がただただぼんやり存在するだけなのだ
自分を守るのは自分の危機管理意識以外どこにもない
そして
大切な子供の命を守るのはやはり親以外に誰もいない

最後にさらに居直ろう
子供の命を守れない…
それはもはや親でない
2014-10-11 11:45:22[319]



油断禁物
人には必ず表と裏の顔がある
そんなことは周知の如くで…
僕だってうちに帰れば決して他人には見せない顔を家族には惜しげもなく披露する
言葉の使い方だって同じだ…
我が家は王家や皇族や或いは貴族や公家の残存の類ではない
僕が敬語を用いるのは決まって間違いなく妻におこずかいをおねだりするときに限られる…

だから二枚舌や三枚舌も僕には十分に許容の範囲で、それを批判しないしまた誰からも批判される筋合いはない
ただ少し困りものなのは自分の都合に合わせた虚実をのうのうとのたまう悪知恵からくる最悪舌だ…
自分の都合さえまかり通れば身近で親しい相手でさえも簡単に自分の虚実の材料にしてしまうこの類
最近も後から僕の耳に入ってきた話しで実は僕自身がその材料に巻き込まれていることが分かった…
相手は何とも意外な人物だ

もちろん大事ではないし被害と言えるほどのことも今のところ特にはない
けれども最悪の場合は僕が僕自身の居場所を失う
そういう可能性だってあることにはあった訳だ…

他人の居場所を不当に侵害するとどうなるか
答えは極めてカンタン
侵害した本人が必ず同じ目に遭遇する
それも殆ど時間を置かずにそうなる…

僕はそういう事例を何度も見てきた…
だからこそここではっきりとそう言えるのだ

いずれにしても油断禁物かつ油断大敵
何かヤバい
そう感じるときは実は本当にヤバい

適度な距離
適度な間隔
人間関係はやっぱり難しい
いや時には遠ざける勇気…
そして…
何より良い加減がやっぱりいい
2014-09-24 12:45:19[317]


新聞並びに週刊誌一考察
僕は新聞を読まない
こういうと無教養な人間だと非難を浴びそうだが…
新聞は読むものではなく眺めるもの
これが僕の新聞に対するスタンスだ

新聞の記事にどこまで信憑性と正当性を求めるのかという議論も僕によっては呆れるほどに些細なものに過ぎない
新聞各社も所詮は組織
組織存続のためにはきわどい効率とぎりぎりの不合理が混在するのはやむを得ない
それは証拠に…
いまだに新聞勧誘には必ずといっていいほどおまけが付く
演劇観覧招待
○月購読無料
時には日用品まで
これをやらないと購読者はそっぽを向く

週刊誌もある意味で眉唾ものだと思うが…
過去を振り返れば分かる
政治家や官僚達の金脈など既得権益を暴き出し、さらには時の政権に物言いを付けたのは、新聞ではなく実はこの眉唾物の週刊誌だった
ただ残念なことに週刊誌には講読者への日用品配布はない…
ない代わりに時々エロ記事をもって我々を楽しませてくれる

僕はそもそも組織を信用しない
組織はいとも簡単に人を裏切る
新聞も週刊誌もそうした組織によるものなのだから、僕にとっては両方とも信用するに値しない
もちろん地域密着の小さな新聞社が取材に取材を重ねて独自性を強調して運営を続けている事実も僕は知っている
そして全くもって頭が下がる…
ただそれは極めて特異なケースだ
だから時に注目を浴びるのだろう

結論として
新聞はよく眺め週刊誌は文字を追う
だから何事があっても両者に対しては腹を横にいられる
僕はそう考えている
2014-09-18 14:38:30[316]


哀悼の流儀
単なる知人や元友人の誰某が亡くなったといった訃報が多くなった
特にここ2,3年は急な増加傾向だ
大体がこういう類の知らせは周り回って僕のところにやってくる…
そしてこれも殆どの場合葬儀の後だ…

そもそも僕は単なる知人や元友人の葬儀などに参列することはない
僕にとって葬儀とは亡くなった人の死を悼むものというよりも、遺された遺族の方々の心中を察するためのものという意識の方が強い
もっとはっきり言えば…
遺族との交流を継続するのか否かが参列するかどうか決めるひとつの大きな見極めになる
単なる知人や元知人の場合だけではない…
実は殆どつきあいなど途絶えてしまった親戚でさえこの基準に照らす…
だから僕は血も涙もない冷徹で冷酷な人間だと評され噂されるのだろう
なるほどそれはごもっとなことだと思う…

ではあえてそこでと居直ってみたいと思う
他人の死を悼むという行為は葬儀以外に局面でも十分可能なことだ
いやむしろ周囲の目にされされながら否応なしにやるものではない
墓参りもわざわざ告知する必要などない
また特定の時期に合わせることもない…
それは極めて厳かなもの
そして心静かにやること…
それが人の死を悼むという行為だと僕は思う

時々通夜か葬儀の帰りと思しき集団と料理屋などでばったりと出くわすことがある…
話の内容は概ね参列しなかった者の悪口か早々に退散した者への強烈で辛辣な罵倒だ
場合によっては死者もしくは遺族の誰それに対する陰口へと移行することさえある…
生きている人間の群れなど所詮はこういう程度のものなのだろう

因みに僕は家族にいつもこう話している
僕が死んだら葬儀は要らない
誰にも知らせてはいけない…
普段通りの生活を続けなさい
問い合わせがあったならば…
毅然としてこう答えればいい
「先日真の友人たちとともに無事見送りをすませたところでございます」
それが僕の唯一の願いなのだ
2014-09-04 12:29:35[315]


今一度小林秀雄
これは事実あったことだからあえてここに書くことにする
勤務先の学校のある社会科教師と僕との会話の一部始終…
社「最近のセンター試験はどうも珍問が多くて困ります」
僕「国語の問題に限ってはそうとは言い切れませんが…」
社「国語もだいたいが同じようなものだと聞きましたが」
僕「昨年のセンター試験の国語の評論問題ご存じですか」
社「いや実はそういうものはあまりよく見てないんです」
僕「出典が小林秀雄だなんて僕は相当粋だと思いました」
社「そういえばテレビで最近は小林秀雄をみかけません」
僕「失礼ですが先生は小林秀雄をのことをご存じですか」
社「あの方時々バラエティー番組にもでてましたよねえ」

それから直ぐに僕はこの相手との奇妙な会話を無理矢理に止めた…
余りにも格下な相手との会話は僕自身の健康と文化を損ねてしまう
そう判断したからだ

小林秀雄を読破したのは僕が高校生の時
図書室の可愛い司書の先生から勧められるままにひたすら読んだ
『Xへの手紙』
『ドストエフスキイの生活』などなど
そして『本居宣長』で完全撃沈をする

小林秀雄は僕にとって文章とは筆力とはさらにものの見方の本質とは何かを教えてくれた影の教師でもある
何より『本居宣長』に至っては国学への目を与えてくれた
実はその後に島崎藤村の『夜明け前』へと僕は到着をする
こういう読書の仕方もある

今夏ある機会があって再び小林秀雄に熱中した
小林秀雄から丸山真男へ、江藤淳から吉本隆明へ、三木清から加藤周一、西田幾太郎と山本七平、さらに西尾幹二を経て小林秀雄へ…
これらは一見トンチンカンで脈絡のない読書遍歴に映るかもしれない
でもそれはそれでいいのだ
戻るべき場所へまた戻れた
そう思えるところにも読書の楽しみがあっていい
そう僕は思う
2014-08-21 19:44:15[314]


地球に触れる旅
50歳を前にして僕にも多少なり心境の変化が生じている
多少なりの心境の変化…

関わりたくない人と突然関わりたくなった…
親友と呼べる相手を極力多く作りたくなった
誰にでも笑顔で愛想良く接してみたくなった
ではない
全くない
断じてそんなことはない

はっきり言おう
足腰の丈夫な間に…
胃腸の丈夫な間に…
できるだけ多くの旅をしたい
ただゴージャスな旅ではない
大地を踏みしめ空気を満喫できる旅…
人間が自然の一部であることを実感できるそんな旅
例えば屋久島
小笠原


自分の足で歩く
自分の手で掴む
それができる…
そんな場所に行きたい

買い物もゴルフもカジノもしない
ただただ自然と触れ合える
それだけでいい
これらは僕にとっては大きな心境の変化だ

端的にいえば地球に触れる旅
或いは地球そのものを感じる旅ということになろうか

しかしながら…
心境の変換かぁ
……と自分で思う

50歳
イヤだねぇ
そして実に複雑だ

そんなことを思う僕はやっぱり少しは若くない
2014-08-06 10:31:01[313]


課題図書一考察
甲山さんの好きな作家は?
こういう質問をこれまでどれだけ受けてきだろう
おそらくイチロー選手の安打数を遙かに越えているにちがいない
そうなれば僕の失恋の数とほとんど違わない計算にもなるはずだ

話を元に戻そう
僕の好きな作家は赤江漠だ
この人の作品は全て単行本で持っている
それに他人から求められても貸し出しは決して行わない

作家赤江漠
ミステリアス
人間の表と裏
見事な筆力…
いつか課題図書にと思っているのだが残念ながらいまだに実現していない

課題図書といえば大宰治や芥川龍之介や夏目漱石がほぼ定番
僕の高校生の時の課題図書は夏目漱石の「こころ」だった…
『作中の先生という人物は一体何で生計を立てているのかさっぱりわからない。相当におぼっちゃまなのだと思う』
読書感想文にそんなことを書いたら先生から呼び出しを受けた
『キミねえ。明治という時代の先生はとても偉かったの。だからこういう優雅な暮らしができだのだ。分かるかい』
『なるほど、じゃあ今の先生は偉くも何ともないからあくせく働き、挙げ句生徒を規則で縛り上げているのですね』
もちろん先生は激怒され、僕もそんな先生に呆れた。もう随分昔のことだ

読書は本来自由ものだ…
だから好きなものに偏る
その偏りをちょいと修正して別の方向を示せるのもまた課題図書ならではといえる

これまた話は変わるが…
僕が勤務する学校の定期試験に「山月記」の作者を問う問題がでた
正解は中島敦だ
でも数枚の答案には甲山羊二と書かれていた
叱咤激励
ちょっとジャンルは違うが中島敦を越えてみたい
僕はそう思った
2014-07-17 12:53:22[312]