MyBlog Ver1.40



甲山羊二オフィシャルブログ
Writing by 甲山羊二
 オフィシャルページにある奥の部屋で、コラムでもなく、エッセイでもなく、もちろん小説でもない、ただのつぶやきをほんの少しだけ形にしようとする。
 僕がつぶやくことで僕自身が導かれ癒され納得する。
 それもいい。
 さすが典型的B型人間甲山羊二だ。
 だからいい。やはりいい。


■公式ホームページ


電車作家
僕は電車に乗るとまず無口になる
別に気分が悪くなるからではない
もちろん怒ったり拗ねたりしているわけでもない
そういう場合もなくはないが実際は極めて稀だ…
電車は黙って乗る
飲食など以ての外
車窓からの景色を楽しむ
いや運転士と一体になる
これこそが電車の醍醐味だと僕は思う

実はもう時効を過ぎたがら言えることだけれども…
僕にはこれまで2度ばかり電車の運転経験がある
しかもちゃんと本当にお客さんが乗っていたのだ

最初は…
場所はとある遊園地
因みに現在は閉園して影も形も面影すらうかがうことはできない
時はかれこれ30年も前のこと
園内周遊列車の案内係のアルバイトしていた僕はうまく頼み込んでその列車の運転をさせてもらった
それはもう嬉しいやら緊張するやら…
もちろん隣には本物の運転士が座った

2度目は…
やはり時は同じ…
場所も同じ遊園地
今度は園内モノレールの運転をした…
もちろんやはり隣には本物の運転士…
この時は少々スピードを出し過ぎてちょいと指導を受けたことを鮮明に記憶している

僕の事務所には電車のシュミレーターのソフトが沢山ある
疲れた時
急に書けなくなった時
僕はソフトであくまでもソフトで運転士になって電車を動かし見事に停める

電車作家
そう甲山羊二は正真正銘の電車作家なのだ
2014-07-10 16:10:10[311]


知覧で見たもの
先日、鹿児島県の知覧へ出かけた
知覧は言わずと知れたかつて陸軍特攻基地があった場所だ
隊員たちが特攻直前に綴った遺書
父や母から息子へと宛てた手紙…
日の丸に記された隊員たちの寄書
最後の写真…
遺品の数々…
記念会館に展示されたそれらひとつひとつに涙を誘わないものなどひとつもない
そして戦争の悲惨さと残酷さと平和であることへのあらためての思いが交錯する…

平和は必ずそこにあるものではない
それは決して連続するものではない
むしろ非連続で時に幻想で時に忘却の対象ともなりうる
平和は人間にとって極めて厄介な要素ともなりうるのだ

さらに言えば…
個人の幸福と国家の平和も必ずしも一致するものではない
個人の平和とは言わない
国家の幸福とも言わない
国家は利害の元で平和を追求するが、個人は利害を排して幸福を感覚化する

さらに僕はと言えば…
国家の歴史と個人の歴史もやはり相容れない
残念ながら日本という国家にあるいは世間に見切りをつける生き方だって未来にはまだ残されている
そういう選択肢もやはり厳然として存在する
いつの時代も国家と個人は必ずどこかで乖離していなければならない

そうした国家と個人を密着させる便利な言葉がある…
それは国民という言葉だ
時にそれはナショナリズム的要素を強く含んだ言葉へと意図的に変えられていく
そうやって個人は崩壊していく
いや崩壊させられていく
だからこそ戦争は悲惨で残酷なのものなのだ

特攻で散華した若者と現代の若者とを安直に比較してはいけないと僕は思う
時代を違えての比較は何の意味をも持たない
ただひとつ
もし現代の若者が個人を持たず国民とは何か国家とは何か平和とは何かを全く考えなくなった時
その時歴史の真実は埋もれ事実だけが浮遊する
問うことを忘れた時
その時大東亜戦争で散った英霊の意思も特攻で散華した若者の意思も遺された者たちの無念さも何もかもがただの遺物となる

知覧で僕が見たもの
それは僕の妄想であってほしいが…
スマホとゲームに熱中するあまりバーチャルと現実を取り違えた哀れな若者たちの姿
それだったように思う
2014-06-25 11:17:06[310]


僕と僕
これは僕にとって小説を書く上で大切なテーマだ
僕の作品は僕という個人に接近を試みなくても、それそのものとして十分に完結している…
要するに手前味噌だが僕という人間と作品はそれぞれがきちんと独立した体裁を整えている

時々読者から丁寧なお手紙を頂く
例えば「優雅なるトマトケチャップ」ならばそこに登場する僕は書き手としての僕そのものとは違う
けれども読み手はそうは捉えない
僕は毎日赤ワインを嗜んでいて…
何時も過去の恋に思いを馳せて…
星を眺めて…
さらに今でも恋を楽しんでいる…
読み手はほぼ間違いなく書き手の僕と作中の僕を完全に重ね合わせてしまっている
残念ながらそ真実はそうではない

星も眺めるがグラビアを隅々まで眺めることもある
エッチなことを考えるのも決して嫌いな方ではない
赤ワインも飲むが冷たいビールジョキもいとおかし
過去の恋に思いを馳せることももちろんあるけれど、だいたいが振られて自暴自棄になったという思い出が多い
今度出会ったら振ってやる…
見る目がなかったおまえ自身を悔やむんだな
なんてことを思う時もある…

つまりはモチーフそのものは事実であっても、作中の僕はもはや書き手の僕を離れている
書き手の僕は作中の僕を動かし語らせていく
僕は僕と格闘する
作品はこうして出来上がる

実はそれは作中の僕の限った話ではない
僕は僕と格闘しつつも一方では他に描いた人物とも呼吸を整えていく必要がある

僕と僕
そうして僕はまた今日も格闘しなければならないのだ
2014-06-12 15:44:29[309]


自転車免許
自動車も時に凶器になりうると同時に自転車もまた十分に凶器となりうる
これはかつて僕がひとりの歩行者として経験済みだからそう言えるのだ…

自動車と同じく自転車についても免許制にするのがよろしい
とはいえトンチンカンで馬鹿でアンタッチャブルな連中が自動車を運転するのと同レベルな連中が自転車を運転することはやはり避けられない
2流どころか3流の人間はどこにでも平気で生息している…

それにだ
自動車運転免許に利権や既得権益があふれているのと同じく、必ずや自転車免許にも同じ状況が生まれるとも考えられる
免許更新の際の郵送費用は通常の料金とは桁違いに高額だ…
何よりやる気のない講師のレクチャー程無駄なものはない…

結局はどうあがいてもマナーは個人の資質によることになる
個人資質
実はここなんだ…
なるほどなるほど
2014-06-05 14:52:32[308]


書評という生き物
書評は作家にとって時に読者との綱となる
なかには相当トンチンカンな内容の書評も決してなくはない…
実際には読んでないのか、はたまた読解力が欠如しているのか

とにかく書評は生きている
なぜなら読者にとって書評もまた固有の作品となりうるからだ

当該作品を読んだ読者が書評という作品に触れる…
そこで新たなるものに感化される
プラスにせよマイナスにせよ読者とのもう一つの綱がそこでこしらえられていく
あるいは作品を読まずして書評という作品に留まる
残念ながらそこでの読者との関係はもはや関係ないではなくなる
なぜなら実際に作品に触れない読者は少なくとも僕にとって読者とはいえない存在だからだ

書評には責任が伴う
他人の作品に何でもかんでもただ口を挟めばいいというものではない

ところで…
僕は書評を書かない
もちろん自分についての書評には目を通すし参考になることもある
しかし他人の作品についてはそうはいかない
僕以外の書き手と読み手
それはいわば他人同士の綱
そうした重要な役割を僕はまだ担えないし実際のところ担いたくもない
だからちょっとした感想に留めておく
あえて僕はそうしている
2014-06-01 15:38:35[307]


優雅なる僕の視点 その2
考えてみると去年から今に至る間人間関係には殆ど恵まれていない
因みに今年も残すところ残り7カ月
そうそう改善される見込みなどない
そしてそれは僕にとって一つの方向を示すものだと受け止めている

僕は自分の考えを当該本人に向けてはっきり言う
もちろん相手の許容を十分に計った上でのことだ
メールやメモや文章で端的に示すこともしない…
そして僕のそうしたやり方は間違いなく批判の的となり戻ってくる
この批判は覚悟のこと
僕が卑劣だと思うのは批判する側が必ず群れて徒等となって登場してくるところにある
ひとりでは何もしない
僕にとってそういう集団は極めてアンタッチャブルな人間の輩の固まりにしか映らない

断捨離という言葉がある
これは物だけでなく人との関係にも十分適用できると思う
職場での人間関係は確かにドライなままというわけにはいかないかもしれない
けれども年齢を経て経験を積むことで自分の中の引き出しは確実に増えている
僕の中で最も有効な引き出しとは巧みな演技を保つこと…

「職場は舞台 人には演技 建前だけで 本音は隠す」

アンタッチャブルな人間とは極力関わらないとする勇気
僕にとってのひとつの方向性とはおそらくこれだと思う

そう言えば最近こんなことがあった…
「僕は甲山さんにこういうニュアンスでお話をしたつもりがそれが十分に伝わっていませんでした」
こいつは全くもって極めて面白くて同時に極めて馬鹿げた表現他ならない…
要するに本来的ニュアンスという意味を完全に舐めている
ニュアンスとは語る側ではなく受け取る側の都合に適した言葉であるはずだ
ニュアンスで小説が書けるのか
ニュアンスで評論が書けるのか
ニュアンスで授業ができるのか
ニュアンスで女性を口説くのか
もうこのあたりにしておこうか
因みに当該台詞をのうのうと僕に述べたのは一端の国語教師だから驚きだね

これからは当該本人に向けて僕は何もいうまい…
それは決して良好な関係を築く為のものではない
心の中にあるブラックボックス
それを健全に成長させるためにあえてそうするのだ
2014-05-31 10:54:30[306]


優雅なる僕だけの視点
最近は体調面の不安から外に飲みに出歩くことを控えている
とはいっても行きつけの割烹には定期的に顔を出すし、寿司も決めた店以外立ち寄ることはない
何でもかんでも口に入れてのどに流し込む
そういうものの食べ方や飲み方は僕の流儀ではない
いいものを食べそして飲む
これが僕の流儀だ
ではいいものとはどういうものか
僕が定義するいいものとは季節の旬のもののことをいう
旬のものを扱える技
そしてその技による逸品
僕はそこに惚れ込んでお店に通う

人間とのつきあいも同じことだと思う
金やものに平気でなびく人間は避ける
あるいはそうした武器をちらつかせる人間も避ける
僕の経験上のこと
簡単に土下座するような人間は簡単に人を切ることをもきちんと心得ている
これは大切な教訓だ

キルケゴールはこう言った
何でもかんでも仕事に変化させて、全生涯を仕事にしてしまう異常な天賦をそなえた人間が存在し、彼らは事務所で働くときと同じ仕事熱をもって恋愛し、結婚し、機知に耳を傾け、芸術に感嘆するのである

さすがキルケゴールだと思う
そして僕はこういう人間にはなりたくないし、つきあいたくもない

僕にとって教える仕事も書く仕事も決して偉い内容のもではない
そしていつも同じことで悩み苦しんでいる
そしてそれはあくまでも仕事のこと他ならない
何より僕は僕という人間であることに誇りをもっている
だから音楽を聴き絵画を鑑賞し、僕は僕と向き合いたいのだ
その誇りとはどの程度のものなんだい
その声に耳を傾ける

旬のものを味わう時
それは自分へのご褒美と期待が込められている

犬のようにしゃにむに仕事をし、まるで紳士のように静かに遊ぶ
そういうのがいい
2014-05-27 10:39:14[305]


カレーライス
大好物はと聞かれれば僕は間髪入れずにカレーライスと答える
それもレトルトではちょいと困る
カレーにはお肉はもちろん野菜がないともはやカレーではなくなってしまう

夕方近所を歩いていると時々カレーの香りがどこからともなく漂ってくることがある
何ともいえない幸せの香り
カレーは人を優雅にさせる

野菜嫌いの子供たちもカレーライスとくれば貪りつくように食べる
僕はカレーライスとはある意味の健康食ではないかと思う
そういえば給食でカレーの日は午前中どんなに嫌な授業でも耐えることができた
そんな懐かしい記憶がある
実はカレーとは精神衛生上極めて良い食べ物でもあるのだ

こういうことを書いていると本当にカレーが食べたくなってくる
今夜はカレーだったらいいな
そう思いながら帰り支度を始めるのもまたいい
案外僕の予想は当たる
ことも時々はある
2014-05-15 15:07:27[304]


着信拒否
僕は「甲山羊二」としての名刺は持ち歩かない
オフィシャルサイトやオフィシャルブログは名刺の代わりのようなものだから、そこで検索されてそちらを閲覧下さいとお願いする
携帯の番号やアドレスも仕事上の相手以外には教えたりしない
それでもあろうことか時々見ず知らずの知らない着信が残っていて驚くことがある

確かに思い当たる節がないわけでもない
というのも1年以上互いの連絡が不通になると僕は必然として相手の登録を消去することにしている
だから見ず知らずの着信は既に消去された相手という可能性もそこでは確かに残されている

こういう場合無闇やたらに着信拒否などできないが本当に見覚えのない電話にはやはり出ない
その点メールはとても便利な媒体だと思う

話は少し逸れるが…
最近は携帯の番号やアドレスを聞くことにも随分躊躇いがある…
特に相手が自分の後輩に当たる場合は気を付けた方が良いらしい
関係が拗れるとこれでセクハラだのパワハラだの余計な言いがかりを付けられかねない

最近職場のある後輩からアドレスを教えてほしいと頼まれて互いのアドレスを交換した
相手は新卒でしかもまだまだ若い女性だ
間もなく職務上どうしても必要があってメールでその旨伝えたもののその後一向に確認の返事がこない
先輩からの連絡には迅速に対応する
これは僕が叩き込まれた流儀でしかも普遍性をもつものとさえ思っていたが実はそうではないらしい
そして返事があったのは互いに顔をあわせる当日の朝
それもこちらの送信から既に4日も経っていた
そういうこともあるのだ
そう思った
そして僕もこの件についてはこれ以上何も触れずにおいた
ちなみに彼女は劇団員だという
僕も長く演劇に関わっているけれどこういう人物は大した役など演じられない
演出する側からすれば嫌な不安を抱かせる
任せるのにも限度がある
因みに相手の登録は消去した

いったい何が便利なのか
便利が人を妙な感じにさせる
いやそういうものだ
そういうものなのだ
そう僕は思った
2014-05-06 12:15:39[303]


予感的中
3月末頃からどんよりとした妙な体調不良に悩まされていた
それでも休めない事情があって自分でも無理をしていると十分わかってはいた
わかっているけれどどうにもできない…
ヤバイと思いながらも結局は休めない…
なぜかこういう時決まって仕事はさらに忙しさを極める

僕は平熱が低い
多分人よりも随分低いと思う
だから38℃は立つことはもちろん座っていることさえ随分億劫になる

予感的中とはこういうことだ

僕には喘息の気があってこれが出ると完全アウトとなる
今回幸いにも瀬戸際でそれを食い止めることができた…
しかし医者から言われたのは熱が平熱に戻るまでそれまで休養するということ

関係先への迷惑は計り知れない
休養すること…
無理はいけない

そしてやっぱり僕もそろそろ若くない
悔しいけれども…
そんな気がする
2014-05-04 20:59:19[302]