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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その15
天災と人災とは本来全く異なるもののはずである。
しかし、国家や或いは行政の面子というものが介在してしまうことで、異なる二つの垣根が取り払われ、天災と人災は混合し、それによって新しい災害に移行してしまうことを私たちは知っている。
ミャンマーでのサイクロンによる被害や、中国四川省での大規模地震による被害は、それについての直近の例としてはあまりにも相応しすぎるものである。
国家とは何かを考えた場合、つまるところ国民の命を委ねるに相応しいかどうかがその価値基準であると考える。
日本もその点において、決して怪しくないとは言い難い。
けれども、所謂新しい災害に移行してしまうまでに、国民の命を守るという面子に賭けて、選択肢を絞り込むという作業に熱中することであろう。
中国との微妙な関係において、日本は独立国家として明確な言い分がある。
歴史認識の相違はもちろん、東シナ海油田開発、さらには毒入り餃子問題と、言い分では済まされない主張すべき事柄が数多くある。
それでも『毒に対して毒でもって制す』は大人の対応としては未成熟過ぎる。
国際貢献の名の下、黙して対応するところに、成熟した独立国家としての尊い姿がある。今回の救援派遣には大いなる拍手を送りたい。
しかしながら、踏み込んで言えば、北京オリンピックがあらゆる祝福を受けるに値するものであるかどうか、甚だ疑問であるというのが正直なところである。
それでもオリンピックは間違いなく開催される。だからこそ、それによって露呈されるであろうあらゆる事実について、私たちは成熟した視点で捉え、時と場合によっては毅然とした対応をすべきなのである。
それこそが成熟した独立国家としての更なる成熟を目指す一本道他ならない。
甲山羊二
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