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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その17
北京オリンピックでの日本代表選手の大失態には目を覆いたくなるほどであるが、事実には必ず背景というものが存在するわけで、その背景を冷静に分析することで、今般の大失態も頷けるというものである。
分析するなかで、特徴的であったのは、大失態を犯した選手の多くが「オリンピックを楽しんできます」と発言していたことである。
自分の得意な芸をただ披露する場所がオリンピックであると勘違いしているとしか思えない発言である。
4年に一度という舞台に全ての照準を合わせ、何が何でも金メダルを勝ち取るのだという精神と、鍛え抜かれた肉体をもって、競い戦う場がオリンピックなのである。
楽しみたいのなら、そこら辺りで自分の芸を披露するだけで事足りる。
次に特徴的であったのは、大失態を犯したのにも関わらず、笑顔で自分を称賛する選手が多くいたことである。
他人が自分を誉めるのなら理解できるが、自分で自分を誉めるということを公然とする態度が理解できない。誉めるということは客体的な行為である。
精神と肉体のバランスはもちろんのことだが、肝心な国語力を身に付けることも必要である。
ここでいう大失態とは金メダルを取れなかったという事実を指すものである。
銀メダルも銅メダルもそれなりに価値があることは認める。それなりに頑張ったことも認める。
しかし、あくまでも「それなりに」である。その意味では、水泳の北島選手は見事である。彼はそれなりに頑張りそれなりに価値があるものを取ったのではない。
愚痴一つこぼさず、自分の目標だけを口にし、それを実現した。何より彼は楽しんでいなかった。苦しみ抜いて勝利した。だからこそ価値がある。
それなりのものでなく、真に価値あるものに惜しみなく称賛を送ることこそ、真の礼儀であると私は思うのである。
甲山羊二
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