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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その19

 今回は「私」ではなく、「僕」という一人称名詞で書き進めてみたいと思う。
そうすることが、彼女を紹介する上で、また自分自身の心情を実直に表現する上で、とても都合がいいと考えるからである。

 彼女の名前はMIKO。
自らが経営する「Music Bar WING」でのライブを中心に活動する女性ボーカリストである。
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2007年2月28日水曜日。僕は始めて彼女に会った。それ以後、僕はライブでそしてCDで彼女の歌声に触れ続けることになる。
 彼女に会うまで、僕は彼女の存在を具体的に知ることはなかった。
彼女が経営する店の前を朝夕通り過ぎるだけで、整然とした店の前と、店の外側に備えられた彼女の活動を紹介するギャラリー以外、僕にとって彼女を知る手立てはなかった。
それでも、直感的にと言えば大げさかもしれないけれど、僕は彼女について、何かしら漠然とした誠実さのようなものを感じ取ることには成功していた。
 彼女に初めて会った日、僕はいくつかの質問を彼女に投げ掛けた。随分失礼な内容のものもあったと記憶しているが、臆することなく真っ直ぐに僕の目を見て、明確かつ簡潔にそれに応じる姿勢が印象的だった。
同時に、彼女の誠実さが実感として伝わってきたことに、僕はある心地良さを感じていた。その時以来、彼女の誠実さに何ら変化はない。
彼女のオリジナルファーストアルバムの中に「でも・・・逢いたい」という曲がある。
彼女自らの作詞によるもので、彼女の誠実さの全てがそこに集約されていると僕は思う。
そして、そこにはある力強さを感じることさえできる。
彼女の力強さ。それは、自分が創造したものを育もうとする決意、そして育まれようとする意志、そのふたつに真摯に向き合っている証拠以外の何物でもない。生意気かもしれないが、そう僕は確信している。
先日行われたライブで、彼女は「でも・・・逢いたい」を唄った。
そして「こみあげてくるものがある」と語った。僕は彼女の歴史について殆ど知らない。そしてそれはそれでいいと思う。その時々において、彼女は彼女なりに背負うべきものをきちんと背負い、誠実にそして力強く生きてきたに違いない。
音楽を通して、そういった彼女の内面に共感できるという事実があればそれでいい。
 その日のライブの最後、彼女は「ケセラセラ なるようになる」と唄った。
「なるようになる」 本当にそうだと思う。ただしそれは、背負うべきものを背負う誠実さと力強さがあればこそなるのだと思う。
彼女にはそれがある。だから僕は僕たちは癒される。現在も、そしてずっとこれからも。

甲山羊二
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