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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その21
実力社会という言葉がある。バブル期においては、多くの日本人がこの言葉に大いなる幻想を抱いた。
生きるも死ぬも実力次第、「実力のないものは去るべし」という風潮に多くの日本人が喝采を贈った。
バブルが過ぎ去った後、今度は実力という言葉が禁句になった。そしてその代わりとして登場したのが「運・不運」という言葉である。
実力の有無ではなく、運の良し悪しが、唯一の計測システムになっていった。
そもそも、実力という言葉は日本人には不似合いである。実力には自己責任が伴う。
実のところ、日本人はこの自己責任が最も苦手なのである。自己責任の無いところに、実力を正当に評価するシステムなど構築できるはずがない。
だから、バブル経済崩壊後に外資がもたらした実力計測システムに日本人が大いに困惑したのは当然だと言える。
運の良し悪しという計測システムは、今度は責任転嫁という事態を招く。それが現在である。
メディアは「解雇」という言葉とそれと同義の言葉を繰り返している。仕事が無い、或いは住むところが無いという事態は、明らかに社会権に抵触している。
国家はそれに対して速やかに措置を講ずるべきである。
しかし、一方で責任転嫁に始まりそれで終わることは許されない。
かつて、実力社会という言葉に幻想を抱いたのと同様に、好景気が永続すると考えていたこともまた幻想にすぎない。
未曾有の不景気という最悪の事態に、未だ幻想を回顧していても何も始まらない。
ここで始めなければならないのは発想の転換だろう。最悪の事態は好契機でもある。
これを逃すと国家そのものが藻屑と化すかもしれない。
甲山羊二
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