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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その26
裁判員による初めての刑事裁判が行われ、大きな話題になっている。国民の直接参加により、刑事裁判が身近なものになることは、国民に開かれた司法という意味において、画期的なことである。
一方で、刑事被告人の一生を左右する量刑を判断するという責任の重さも指摘されるところでもある。いずれにせよ、メリットとデメリットはいかなる制度にも存在する。
国民と司法権の関係を明らかにする上でも、適宜良好な方向へと改めるとする民主主義に期待するほかはない。
裁判員制度については賛成反対の両方の意見がある。また、断固辞退するという考えを持つ人もいる。いずれも民主主義の考えからいって正当である。
個人の思想信条にいちいち口を挟む必要もない。しかし、組織からの無言の圧力により、裁判員を辞退せざるを得ない場合は別としなければならない。
日本のあるキリスト教組織が早々に裁判員辞退を表明した。
ただし、これは末端の信者に及ぶものではないと言う。本当にそうだろうか。死刑制度反対を辞退の理由とするが、辞退についても、またその理由についても、主権者である国民がそれを決定するのである。
組織がその圧力によって、たとえ信者といえども主権者である国民の思想信条にまで関与して良いはずがない。
私たちは選挙というシステムで国会議員を選出する。そこから内閣による行政が進められ、また国会議員による弾劾裁判での裁判官罷免手続きも行われる。
これが、主権者と三権(立法権・行政権・司法権)との関わりである。つまり、日本の現実に直接関わるのは主権者である私たち国民なのである。
だからこそ、それぞれが問題意識を持ち、それぞれが判断することが必要なのである。
その意味では、組織やコミュニティーによる圧力などはあってはならないのである。
甲山羊二
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