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コラムⅡ
心に吹く隙間風
目次
心に吹く隙間風Ⅱその10
昨年(2014年)に引き続き、今年も鹿児島県内の特攻基地跡を見学した。特攻基地跡といえば知覧がよく知られる。一方で鹿屋や万世も見逃す訳にはいかない。特に万世基地跡は大東亜戦争末期に現れた幻の基地として、ベールに包まれた戦跡として知る人ぞ知る場所でもある。昨年は時間の関係で、知覧のみの見学に終わっていた。だからこそ、今年は周到な計画を立てての鹿児島行きとなった。
僕は特攻の存在を美化して言うつもりはない。けれども戦後70年となる現在だからこそ、その真実をどうしてもこの目で見ることで、感じなければならないものがあると思う。真実からの逃避による平和祈念は意味をなさない。特に戦後生まれの僕にはそれが必要なはずだ。真の祈念はそうしたところから始まる。
それぞれの祈念館には隊員から家族に宛てた遺書が展示されている。明日の出撃を前にした遺書。もちろんそれらを通して、隊員のひとりひとりとの感情的共有などできるはずもない。けれども上辺だけの勇気などでは決してない、そこには確かに生身の人間の悲しみとやるせなさ、無念さが存在する。そして何より、大切な家族を命懸けで守るのと同様に、この日本も命懸けで守らなければならないとする使命がそこには存在しているのだ。
果たして、現在の日本を散華した隊員たちはどう見るのだろうか。またどう映るのだろうか。仮に特攻を犬死というのなら、スマホに夢中でホームから転落してあの世行きという馬鹿さ加減の方が、余程犬死以下ではないだろうか。いや、もはや比較そのものが不謹慎極まりない。そこでは嘲り以外には残らない。
家族も国家も黙っていては或いは言葉だけでは守れない。守ることとは時に身体を張ることであり、命を投げ出すことでもある。覚悟も使命もないところで平和など語れない。
今回の見学を通じて改めてそう思わされた。
甲山羊二
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