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コラムⅡ
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風Ⅱその11

 昨今はどうにもこうにも挨拶のできない子どもが非常に多い。大学生までがこれだから呆れてしまう。それでいてお願いや頼みごとだけは平気でペコペコ頭を下げる。これは場末のうらぶれた飲み屋の老女将よりも相当酷いと思う。
 挨拶は生活の基本だ。基本ができていないということは何をやらせてもこの子は無理。そうとられても致し方ない。挨拶のできないのは実は何も子どもたちだけではない。大の大人もまた同じ。最近では若い先生がほとんどなっていない。これで生活指導とやらを平然とやられては、親などは実にたまったものではない。
 挨拶の有無はその人間の家庭の躾を象徴している。躾もできない、或いはされていないからこそ、ろくに挨拶もできない。育ちというものはこういうところにも如実に表れる。
 勉強なんて少々できなくてもよい。但し挨拶はきちんとすること。これは常日頃から子どもたちにも言い聞かせていることだ。良い大学を出ていようが、良い就職ができていようが、挨拶ができなければ評価は半減。いや、きっとそれ以下だろう。これは鉛筆やお箸の持ち方にも十分通じることだ。そうした基本的な躾は極めて大事なことなのだと僕は思う。
 実際、腹の中はたとえ相手に対して煮えたぎっていても構わない。せめて表面だけでも取り繕える人間になること。何度も言うが、これらは偏差値だけでは示しようがないのだ。


甲山羊二
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