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コラムⅡ
心に吹く隙間風
目次
心に吹く隙間風Ⅱその12
「授業での雑談を全て止めてもらいたい」
こんなバカげたことを平気で通達する管理職が、とある高等学校で偉そうにのさばっているらしい。この話を聞いて最初は僕も随分疑ったものの、どうやらこのことは正真正銘の真実らしい。元は生徒からのクレームに端を発するものだが、受験に無関係な材料は全て排除するこの方針に僕は驚きを越えてほとんど呆れてしまった。とにもかくにも、世間の皆さんはこの愚な通達をどう捉えるだろうか。
雑談は無駄話ではない。それに無駄話や馬鹿話を授業での雑談とは普通言わない。雑談とは話す側の人生観や人間観が溢れ出るものを指す。巷の無駄話と訳が違う。こうした雑談を十分咀嚼する。いや無駄話だってそうすることで場合によっては意味のあるモノになる可能性を秘めているのではないかと僕は思う。
ところで、咀嚼能力のない人間にものを食べさせるとどうなるか。当然それを丸ごと吐き出すことになる。あるいは下痢と嘔吐で苦しむことになる。いずれにしても決して人道的とは言えない。この通達以来、その学校で教師として勤務する知人は一切の雑談を止めた。個人的な相談にも乗らなくなった。自分の人生観や人間観をいかなる形にせよ表に出すことなどはするまい。そう決めたらしい。
他人の話を咀嚼する。これは生きる力だと僕は思う。口あたりの良いものだけを身の回りに備える。それはまるでスマホの世界だ。読書もしない。正しい言葉や表現で批評もしない。だから批評にもまた耐えられない。些細な困難に対してすぐキレる。そういう人間がただ時間とともに増殖されていくのだろう。結局は稚拙な言葉や表現だけが社会に蔓延する。「日本死ね」はその象徴ではないか。それを使った本人はきっと普段から夫や子供に「死ね」を平気で連呼しているのに違いない。
いずれにしても、学校は変わった。いやもっと変わるかもしれない。それによって咀嚼力と表現力を失った生き物を排出することになる。学校も変わればこの国も変わる。「日本死ね」が賛美されるのはその兆候だと僕は思う。
甲山羊二
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