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コラムⅡ
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風Ⅱその9

 僕は相当にせっかちだ。何事もジャストインタイムでなければ気が済まない。若い頃はそれに輪をかけての状態だったから、周囲も相当に大変だったに違いない。ただ、ひとつだけ、僕がそういった癖を露呈しなくて済む局面がある。それは食事についてのことだ。
 食事はゆっくり味わいながら頂くものという僕なりの流儀が存在する。そうすることで、作り手などのあらゆる対象を念頭に置くことができる。感謝は口先だけではいけない。全ては創造から始まるものだと思う。実際、人間の創造力と知的レベルは完璧に比例する。
 昨今、見ていて無性にいやらしさを感じるのは、食べるという所作の下品さだ。ホームで、車内で、歩きながら、地べたで座りながら、平気で大口を開けながら、食べ物とも餌とも見分けのつかない物体をほおばっている。子どもならまだしも、大人がこうだからどうしようもない。つい最近も、中年サラリーマンが満員電車でスナック菓子をひたすらほおばる光景にはほどほど呆れた。もちろんあれは食事ではない。ただ空腹を満たすだけの、動物的であり、本能的であり、かつ断片的な行為に違いない。お目出度い御方もまたいる。
 お腹が空いたから食べるという習慣を僕は知らない。たとえお腹が空いても、時と場合によっては我慢をする。本当の食事はここから先にある。聞くところでは、まともな割烹は外から中を簡単には見せない作りにする。食すことは、十分なマナーを必要とするもので、それはそもそもそうした行為自体が、ある意味の恥じらいを伴うものだからだそうだ。
 恥じらいが所作として気品に変わる。創造力も知的レベルも一定の気品がないと成り立たない。人のふり見て学ぶこと実に大だと思う。
甲山羊二
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