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コラムⅡ
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風Ⅱその8

 僕は新聞を読まない。こんなことを言うと、せっかちな相手は僕のことを無教養でだらしない人間と評価し、時には攻撃の対象とさえ捉え、さらには極めて無教養な人間だと非難するだろう。それはそれでいい。所詮せっかちとはその程度のものだと僕も納得できる。
 僕にとって新聞とは読むものではなく眺めるもの、これはずっと以前から変わらない一貫したスタイルだからもうどうしようもない。新聞の記事にどこまで信憑性と正当性を求めるのかについても、実際のところ僕にとっては呆れるほど些細なことに過ぎない。新聞各社も所詮は組織だ。その存続のためにはきわどい効率とぎりぎりの不条理もやむを得ない。それは証拠に未だに新聞勧誘には数々の特典がもれなく付いてくる。結局これをやらないと購読者は簡単にそっぽを向いてしまう。
 では週刊誌はどうだろう。これも僕に言わせれば相当に眉唾物だ。ただ、過去においては政治家の金脈や官僚の既得権益などを暴き出し、さらには時の政権に物言いをつけたのも、新聞などではなく実は週刊誌の方だった。週刊誌の記事に怒り狂う政治家はいるが、新聞の記事にはいたって好意的な姿勢を見せる。「記者クラブ」のなせる妙義がここにある。ただ残念なことに週刊誌には特典はない。いや全くなくはない。袋とじは近代週刊誌が開発したノーベル賞級の特典として評価は高い。
 僕はそもそも組織を信用しない。組織はいとも簡単に人を裏切る。新聞も週刊誌もそうした組織によるものだから、僕にとっては両方信用するに値しないものなのだ。もちろん地域密着の新聞社が取材に取材を重ね、その独自性でもって運営を続けているケースもある。ただそれは極めて特異なケースに過ぎない。
 新聞はよく眺め、週刊誌は文字を追う。だからそこに何事があっても両者に対しては腹を横にしていられる。僕はそう考えている。

甲山羊二
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