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コラムⅡ
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風Ⅱその14

 僕は高校野球があまり好きではない。そもそも高校は野球をするためだけの場所ではない。文武両道とはよく言うが、ああいうキャッチフレーズも如何なものか。それを実践しているのはごく少数であって、大人の思惑を勝手にはめ込むのはよろしくない。甲子園大会などはその最たるもの、そこで見られる作為的で妙な爽やかさは逆に鼻に付く。
 実際の巷の野球部員の多くはああではない。特に公共交通機関での彼らは極めて嘆かわしい。大きなバッグを床の真ん中に置く。大股広げて席に座る。大声でつまらぬ会話を続ける。スマホにゲームに必死に取り組む。参考書や問題集を広げたところなど見たこともない。強豪校といわれる学校の部員も例に漏れず。文武両道どころか武部偏道といったところだ。
 他府県から優秀な選手を特待制度で集める学校には、きっと潤沢な資金がそこにあるに違いない。またその制度により部員にある種の特権意識が生まれるのはやむを得ないことかもしれない。もちろん野球部の中だけでそうした特権意識をひけらかすのは勝手だ。ただ巷の市井の人間にまでその意識を丸出しに振る舞うことは許されるはずもない。特待か何かは知らないがお前らは所詮一高校生なのだと声を荒げたくもなる。どう見ても甲子園球児と公共交通機関球児にはやはり相当の乖離がある。
 ただし別の見方もある。甲子園での彼らの様態はあの独特の舞台ならではの演技だということだ。妙な爽やかさも取り繕った清々しさも、全ては甲子園という舞台での実演なのだということ。そしてそれらは関係者が観衆や視聴者に向けに見事なまでに拵えた産物なのだということ。要するに甲子園球児は公共交通機関球児とは異なる、体育会系演劇部に所属する部員なのだということだ。それはそれでなるほどとも思う。
 しかしこうも付け加えなければならない。野球部など所詮は学校でのクラブ活動だ。そこで養われた精神力も演技力もそこで始まりそこで終わる。つまらない特権意識で企画や物は売れない。社会は常に生活のために労働することを迫る。そこに活路を見出すのがプロだ。かつての野球の上手さも評価の対象外となる。どの世界でもプロはアマチュアとは大いに異なるものなのだ。

甲山羊二
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