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コラムⅡ
心に吹く隙間風
目次

心に吹く隙間風Ⅱその15

  「創作活動10年目にあたって」
 創作活動を始めて、10年目を迎えた。前期は相当の量産体制で進んだが、後期はかなり落ち着いてはいる。ともかく書きたいものを書いてきた。同時に、書けるものを書くのではなく、書くべきものを書いてきた。今後もそのスタイルは変えない。
 また、これまで多くの人に応援を頂いた。これはまさに感謝の一言に尽きる。一方で、誹謗や中傷もたくさん頂いた。これも記憶活性化の肥やしとなるに違いない。
 創作活動を通して垣間見たものは、それに関わる英知と愚鈍さだった。随分前のこと、当方のオフィシャルサイトをある同人誌の主宰者に紹介したことがあった。するとその御方は、そんなものは自己満足だろうと発言された。活字になった自分の作品を、見ず知らずの他人が手に取り読むことを信じて疑わない御方の、時代遅れも甚だしいその発言に、ただただ驚愕したことは鮮明な記憶として残っている。時代に合わせたプロデュースもできない。できるのはユートピア思考あるのみ。だからこそ同人誌が廃れていくのだろう。
 色々な同人会にもお世話になった。なかには老人会を彷彿させるものもあった。創作ではなく闘争を好む会まであった。罪深い印刷業者の不当な誤植に対して、その業者との長年の取引を重んじるあまりに、クレームどころか逆に平伏する、とんでもない会もあった。自分の作品が印刷業者に仕打ちを受ければ、通常はきっちりその旨を申し出て、賠償に応じるよう求めるのが普通だ。業者を変えるのも得策だろう。けれども現実は違った。ここにも意味不明な日本人的事なかれ主義が横行していた。
 同人会だけではない。世にも奇異な書き手にも遭遇した。一度か二度程度言葉を交わしただけであるにもかかわらず、まるで旧くからの親友であるかのような慣れ慣れしさで、不躾な批評文まで送り付け、挙句には僕の創作活動にまで関与しようとさえした。批評は結構、なさるのは自由、いざ知らずだ。僕がどういう思いをもって書くのか、それは僕自身の心の問題だ。そこにまで土足で踏み込まれる筋合いなどない。
 こんなこともあった。一昨年、自主出版レーベルを立ち上げる際のこと、東京の或る出版社にアドバイスを乞うた。そこでは親切丁寧な助言まで頂いた。ところが大阪では自主出版レーベルの意味がほとんど理解されなかった。特に書き手がそうだったから、なお驚きは倍増した。もはや、書くことと出版することを分離する時代ではない。今や、セルフプロデュースの時代だ。東京で理解されたことが大阪ではそれが及ばない。思考と志向において、大阪は東京に10年は遅れているとあらためて感じた。
 ネガティブなことだけではない。僕を創作に駆り立てるポジティブなことも多く体験した。それは僕の作品の全てに網羅されている。だからあえてここには書かない。
 10年が区切りなら11年目は元年にあたる。来年は長編の出版を予定している。だから思考と志向にカビなど生やす訳にはいかない。挑戦はまだまだ続くのだ。


甲山羊二
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