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コラムⅡ
心に吹く隙間風
目次
心に吹く隙間風Ⅱその6
先般、靖国神社を参拝した。もちろん日本人のひとりとして心からの参拝である。この場合、厳かという言葉がやはり最も適当ではないかと思う。
僕は戦争を知らない。本当に全く知らない。これは戦争について全くの未経験であり、未体験であることを意味する。よって大東亜戦争などは、歪んだ歴史観による誤った知識を無理やりに強制させられた世代であるともいえる。
事実と真実は異なる。これは大人なら誰でもわかることだ。事実は大きく曲げられても、真実は厳然としてそこに存在する。僕が本当に知りたいのは、あるいは知るべきなのは、歪んだ歴史観でも誤った知識でもない。そこに人間の生と死があったという真実である。そして遺された者の無念さがあった。そうした真実のみが知りたい。そしてまたそれのみ、僕が知るべきことなのだと思う。
空襲によるさらに原子爆弾による無差別大量殺戮。そうした極めて悪質で残虐な行為。挙句の果てには「二度と過ちを犯さない」という主語の欠落した意味不明な文脈。そうした押しつけこそがまさに鬼畜なのだといっていい。敗戦屈辱日といわず、終戦記念日としてそこに甘んじる曖昧さ。死を背負った者たち、遺された者たちへの無配慮さ。僕の腹立たしさは実はそこにもある。
ともかく僕は生きている。生きている者のひとりとしての責任を全うすること。それが僕にとっての靖国神社参拝なのである。
英霊に頭を垂れる。何と厳かなことだろう。日本人甲山羊二として。もう自虐など御免である。
甲山羊二
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