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コラム
心に吹く隙間風
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心に吹く隙間風その37

 人間にはそれぞれの立場における分相応と不相応がある。日韓併合100年に合わせて閣議決定された菅首相の談話は、そのことを強く思わせるものである。国民を代表する立場の人間として、これまでの発言の軽率さにも甚だしいものがあった。その意味では今回の談話は軽率発言の極みであるともいえる。とにかく呆れるばかりである。
 断続的かつ永続的に謝罪を続けるのであれば、相手を見極めてやるべきである。これは大陸的住人気質をしっかり勉強しておけば十分理解できる。謝罪と補償を区別して考える日本人の気質と全く異なるのが大陸的気質である。彼らにとっては謝罪と補償は表裏一体でなければならない。そしてこれは国際社会における暗黙のルールでもある。アメリカが広島と長崎の原子爆弾投下について未だに公式の謝罪をしようとはしないのは、その暗黙のルールにただ単純に従っているからである。 その意味で、今回の談話により1965年の日韓基本条約が相手の都合で蒸し返されてもしかたがない。国際社会とはそういうものである。さらに、中国の反日感情も再燃化するだろう。元々、中国という国家の栄養源はそこにあるのだから、もはやあとの祭りである。
 国民の総意に基づかない発言で格好よさを露呈するのは首相として分不相応である。本当に格好よさを露呈したいのなら、日本国総理大臣として靖国神社への公式参拝を行い、さらにアメリカに原爆投下についての謝罪を求めるくらいのことをすべきである。しかしこれは無理な注文だろう。過度な期待は禁物である。それは期待する側につまらぬ疲労が蓄積されるだけである。

甲山羊二
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