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エッセイ
ああ言えばこう言え!
目次

 ああ言えばこう言え!その3

 「おふくろ」「ふるさと」なんという心揺さぶられる言葉であろうか。
人はそこにある懐かしさを想い、そして魅かれてゆくのだろう。
日本人の原風景がまさにそこにある。
おふくろが健在であるかどうか、そのおふくろがかつて相当の飲んだくれであったかどうか、そんなことは問題ではない。
或いは、ふるさとが都会のど真ん中のマンションの最上階であるかどうか、そんなことも問題ではない。
ただただ、「おふくろ」「ふるさと」という言葉に魅かれる自分がいる。
それで十分なのである。
一方で、その原風景を巧みに利用して、人を欺く商売があるというのも現実である。
数年前のこと、職場帰りの寄り道で、偶然小料理屋風の店を見つけた。
店の名は「おふくろの味 ふるさと」何とそそる名前の店であろう。
小さな看板を見た瞬間から、何やら胸が熱くなってしまった。
割烹着に白いエプロンのちょっぴり小柄で薄化粧のおふくろさんが、「おかえり」と優しく声を掛けてくれるに違いない。
既に好物の小芋の煮付けが準備されているかもしれない。
そうだ、先ずはビールを注文しよう。
最初の一杯は「おつかれさん」と微笑みながら、ゆっくり注いでくれるに違いない。
期待に胸を膨らませ、小さく深呼吸をして、暖簾を分けてガラリと戸を開けて、1歩店の中に入ったその瞬間、私は愕然とその場に立ち尽くしてしまった。
店の中で私を迎えたのは、煙草をくわえ、スポーツ新聞の風俗欄を眺め、気だるそうに「あぁ、らっしゃい」と呟く品の悪いおやじだったのである。
私を迎えてくれるはずのおふくろなどいない。
無残にも私の夢は打ち砕かれてしまったのである。
原風景を売り物に人を騙すのは良くない。
それからしばらくは、私は郷愁言葉アレルギーになってしまったのである。
甲山羊二
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